ABOUT|浦辺鎮太郎建築展について

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『建築家・浦辺鎮太郎の仕事 倉敷から世界へ、工芸からまちづくりへ』は2019年が浦辺鎮太郎生誕110周年であることから、倉敷アイビースクエア内アイビー学館にて2019年10月26日(土)から同12月22日(日)にかけて開催されます。同時に倉敷市との共催で『倉敷の建築文化を考える』連続シンポジウムを倉敷公民館にて開催することで、浦辺鎮太郎の業績、思想を多角的に紹介し、現代におけるその意義について再考する機会になればと考えています。また、2020年の11月14日から12月12日に浦辺鎮太郎の晩年の活躍の場となった横浜(横浜赤レンガ倉庫)でも同展が開催されます。

『建築家・浦辺鎮太郎の仕事 倉敷から世界へ、工芸からまちづくりへ』では、浦辺鎮太郎の建築家としての活動期を3つの期に分けプロローグとコラム・スケッチコーナーを含め5部構成で紹介します。3期に分けたメイン展示では、主要な作品の建築模型、エスキース・スケッチ、設計原図、写真等でその特徴を詳しく紹介することでそれぞれの期においてこれまで紹介されてこなかった重要な出来事についても新たな視点で紹介します。
プロローグとコラム・スケッチコーナーでは、詳細につづられた本人直筆の手帳やスケッチブックをもとに他の建築家との交流やプロジェクトにまつわるエピソードを紹介するコーナーとするなど、建築家・浦辺鎮太郎の思想の形成過程や変遷についても切り込みたいと思います。

3期に分けた建築家としての活動期についてはそれぞれ前後半期にわけ、その概要を述べますと次のようになります。

第1期前半は1950年代のクラレ営繕時代をはじめとし、伊予西条の栄光教会とその付属施設での木造モダニズム建築、各地の工場や社宅建築、プレファブ住宅の研究と実践などを中心に日本工芸館や一連の石井十字記念愛染園の仕事でKM(倉敷モジュール)を確立するまでです。これまであまり紹介されることの無かった、建築家・浦辺鎮太郎の知られざる工業化への想いに焦点を当てます。

第1期後半は自らを大原總一郎の技師と称したように、浦辺鎮太郎にとって最も重要な人物大原總一郎と共に倉敷のまちづくりに励んだ時期です。特に1960年代の『黒と白』1) の時代に焦点を当てます。
この時代の特徴は、近代建築の潮流を受け止め、独自の倉敷モジュール〈KM〉によるコンクリート打放しによる重厚な壁庇やプレキャストコンクリート版に鋭利な刃物で微妙な陰影を切り取るように施した漆喰壁による重厚な意匠です。
素材がコンクリートの打ち放しを中心に燻し瓦や漆喰など限られていることもあり、その時代の建築家としてのプライドを感じさせるストイックな印象を持ちます。

第2期前半は大原總一郎亡き後、その遺志を「大原構想」と称し、倉敷においても次々に大きな仕事を実現させると共に、倉敷モデルを他都市にも展開していきます。

第2期後半は倉敷市民会館から倉敷アイビースクエアまでの『黒と白』の時代も終盤の時期です。好む素材も高梁川の川石から萬成石へと華やかさをまし、倉敷アイビースクエアを境に作風の劇的な変化が見えます。

第3期は『白と赤』1)の時代として紹介します。倉敷アイビースクエア以後、レンガタイル、万成石、玄昌石、スタッコ、銅板等の多様な建築材料の使用にみられるように、建築部位の機能やディテールにとどまらず、その素材感を重視する姿勢を感じさせます。第3期前半において倉敷市庁舎、倉敷中央病院や倉敷駅前再開発など倉敷でのまちづくりも一つの区切りを迎えます。

第3期後半は、倉敷という一地方で建築に取り組む自らの立ち位置を明らかにしていきたいという思いより、施主のゲマインシャフトを形にするという流儀に重きを置き、横浜を最晩年の活躍の場としました。

(※1)大原美術館分館(1961年)で浦辺独自のスタイルを確立しますが、それ以降年代的には1974年のアイビースクエアを挟んで作風の大きな変化が見られます。この展覧会ではその印象からアイビースクエアの前を『黒と白』の時代、それ以後を『白と赤』の時代と呼びます。


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